斜陽のフィギュアスケート1

以前から感じてはいた。そして2018年平昌五輪をみて、その思いを強くした。

ユーロ・北米・アジアの五輪参加人数について、その割合を表にしてみた。ユーロ選手権参加国はそのまま、四大陸選手権参加国を北米とアジアに分けた形だ。男女通じてアジアの国の選手が初めて優勝したトリノ五輪(2006)の1つ前、ソルトレイクシティ(2002)から直近のものまでになる。

これを見ると、概ねユーロは減少、アジアが増加と分かる。北米も増えているように見えるが、米国とカナダの2か国でしかないため誤差は大きく、実態は年ごとの差はあっても全体としては横這いといったところだろう。

一方、その国別表彰台はどうか。一見するとアジアが増え、北米は横這い、そしてユーロは女子が復活で男子は減少となっている。

各エリアの中身について具体的に見てみる。ソルトレイクシティ(2002)の頃までは、考えにくかった国が参加してきている。ユーロで言えばスペインやラトビアに加え中東のイスラエルカザフスタンウズベキスタンが特徴的、アジアについては韓国・フィリピン・マレーシアが注目に値する。一方表彰台を見ても、西欧が影を潜め、日本がいきなり数を増やした。ロシアはバンクーバー(2010)を境に男子と女子が入れ替わったような形であるが、同国の育成が量産体制となった今は、以前のエリート選抜とは中身を異にしている。特に女子は、詳細は割愛するがトリノ五輪以前とは別物と言ってよい。

全体に、黎明期(北欧と中欧)とその後の成熟期(西欧と東欧)を飾った国々は消え、代わりにそれまで存在感がなく不毛とまで呼ばれた国がぞくぞくと参加するようになった。しかし彼らはあくまで”参加者”だ。”基盤を作る者”でも”ルールを作る者”でもなく、”運営者”ですらない。実際、そういった新しい国は自国で選手を育てる事さえ出来ず、人的・環境的に時に丸ごと他国のリソースを借りるのだ。日本はこれらの国の中では古株だが、やはりこれまでさんざんお世話になってきたし、今も振り付けは相変わらずほぼ他国頼りだ。そして何より、ルール作りにもシステム作りにも寄与しないどころか運営にも関われないままでいる。莫大な投資と時間は一体何だったのか。

つづく