井岡雅宏 #3 絵画的心情的レアリスム

井岡さんは1941年生まれ、地元の北海道教育大学札幌校特別教科(美術・工芸)教員養成課程を卒業されています。多感な十代の時期は、TV本放送のスタートや東京タワー完成のイベントがあったり、『有楽町であいましょう』『黄色いサクランボ』といった歌謡曲が流行った1950年代でした。



#1でも書いたように、高畑勲さんはゴッホの作風や彼の追求したものが、井岡さんの絵にも伺えると言っています。ゴッホといえば、彼自身の肖像画や『ひまわり』がすぐに浮かびますが、そういった黄色基調の強烈な色彩と激しい主張を持った後期の作品と比較してはいません。浮世絵の影響も受けていない若い頃の、あまり有名でない作品に類似性を見出したようです。印象派ないしはポスト印象派に属されるゴッホの絵は、タッチが荒くて時にうねりもあるハッキリとした輪郭を持ち、その一方では緻密かつ多彩な色合いで強い存在感と生命力を感じさせます。セザンヌのような幾何学的に配された平面性でも、ゴーギャンのような想像力を働かせた抽象化でも、はたまた写真のような模倣でもなく、実感を大事にしていたそうです。



井岡さんの絵もまた、タッチが荒くその色数は実に多彩なのですが、作り出されたその色は透明感と輪郭に収まらない広がりがあります。空の黄昏や水面や長く伸びる道に落ちる陰には、人の心の深遠が投影されているようであるし、絵全体としてはそこに生きる人間が積もらせていった時間さえもが感じられます。観察力に大変優れていたらしく、描かれた葉や木の裏側がどうなっているのか、質感や匂いや風や空気や温度といった細かい部分まで容易に想像できます。また、ゴッホの絵が草・木・道・空とそれぞれが互いの存在を無視して個々に存在している感じを受けるのに対し、井岡さんのはそれぞれが相関関係を持ちながら中心となる部分を生み出しているように思えます。強く明確な主張をするのではなく、静かに語りかけつつもこちらから覗き込むのを待っている。さらに井岡さんの作品のみを見た場合、豊かな水分やそこに描かれてなくとも人の気配や体温、そして持続的な時間があるように思えてなりません。それらはいずれも、アニミズムや豊かな雨と森林のある国土を持つ日本人的な感覚からくるものではないでしょうか。



高畑さんは井岡さんの絵をして、”絵画的感覚的レアリスム”と言いました。が、上記のような理由により、私は”絵画的心情的レアリスム”と呼びたいと思います。



謹んで哀悼の意を表すると共に、優れたこれらの作品が相応しい評価を受け、少しでも多くの人の目に触れながら永く保存される事を願って。




終わり