井岡雅宏 #2 陰にも色がある

背景画は当然ながら基本的に、主人公たちの状況説明のための道具として存在します。探偵モノやサイバーパンクなどでは、その中に描かれた物体が、何らかの伏線やギミックになる事もあります。いずれにせよ、それらの殆どは写実性を良しとして優秀なガイドであればよく、それ以上のものではありません。しかし、井岡さんの絵は違います。”人間の目を通して見た景色”なのです。移ろいゆく心情やその場にある情熱が、そのままだと単に存在するだけの背景の上に重ねられ、それ自体が主体さえ持っているかのように感じられるのです。静かに、上品に、しかし確かに見る者へ語りかけてくるのです。それ故に、そこに人物はおらずとも、ただその背景画を見ているだけで胸熱くなるのを感じました。



画集になく、すでに失われていると思われるものから、『赤毛のアン』より何点かupしたいと思います。アンは大変おしゃべりで頑固な面も持っていますが、一方繊細で、十代の少女としての感性豊かな想像力を持っています。彼女の言葉にはしなかった、成長をも汲み取れるその時その時の心情が、見事に描かれていると思います。


第44章.クイーン学院の冬
卒業試験に明け暮れる毎日を過ごしていると、いつの間か春が訪れていた。グリーンゲーブルズでは、マリラが布団を干したり、土を耕すマシュウがその空気を気持ち良さそうに吸い込んでいる。






第46章.マシュウの愛
卒業試験で優秀な成績を収めたアンは、大学の奨学金を受けられる事となり、前途が薔薇色に輝いて見えていた。大学入学までを故郷で過ごすある朝、快眠から目覚めて窓を開け、その美しい光景に酔いしれる。















第48章.マシュウ我が家を去る
初めて人の死を知るアン。「モミの木の後ろから太陽が昇るのを見たり、庭の淡いピンクの蕾が膨らむのを見つけると、マシュウが生きていた時と同じように、嬉しくて胸をワクワクさせてしまって・・・。マシュウは亡くなったというのに、こういうものを面白がるなんて、何だかマシュウに悪いように思えてしまって。マシュウがいなくなって、とても寂しいんです。始終。それなのに、この世界も人も、とても美しく興味あるものに思えて(中略)」






第49章.曲り角
年を取ったマリラを一人置いておけず、大学進学を諦め、村にある学校の教師となってグリーンゲーブルズに留まる事を決心するアン。人生は一本道ではないが、いつかきっと、その先に幸せがあるのだと希望を胸に歩き出す。





第50章.神は天にいまし すべて世は事もなし
「(中略)傍目から見れば、不幸や不運に見えるかもしれない事が、普段は分からなかった人の奥深い温かさや強さに触れたり、自分の心を試すまたとない機会なんだという事を、つくづく思い知らされました」












保田道世さんのインタビューにもありましたが、井岡さんの絵の特徴の1つに、陰を光とのコントラストでは見せないというのがあります。”黒”を使わず、色の組み合わせで描いています。「色を組み合わせる事で、そこに描かれていないはずの色が見えてくるんだ。色が呼び起こす錯覚を利用して、いろんなことが表現できる。でも、必ずどこかに抜けたようなところをつくる大胆な考え方も必要だ」



感受性豊かな少女の目を通した景色、自分を育んだ故郷を愛する女性の目を通した景色、そして責任ある一人の大人として見始めた景色・・・。ただ四季が変わっただけでなく、経過した年月と、それにより変化した人の思いさえも、井岡さんの絵にはある。


続く。