ノイタミナ「のだめカンタービレ」とフィギュアスケート

 『のだめカンタービレ』は、少女漫画を原作としたアニメである。この作品を知ったのは、一昨年前くらいから。以降、単行本を買い続けている。昨年ドラマ化されたという事もあり、結構有名になっているかと思う。ドラマの方も1話か2話見たが、シュトレーゼマンが受け付けなくて、見るのをやめた。ドイツ人(白人)なのに、何故か竹中直人が演じている。それもウェーブのかかった長髪のカツラをつけて。読者に喧嘩売ってるとしか思えない。

話がそれた。アニメだが、原作に忠実なのは良い。が、肝心の部分が”薄い”あるいは”きちんと再現されていない”ので、何かイライラさせられる。特に不満なのが、以下の3点だ。


1.千秋のキャラクター
後になって詳しく描かれるが、彼はお坊ちゃんである。それもピアニストの父を持ち、生まれた時からずっとクラシック音楽にどっぷり関わっている。千秋の台詞は漫画そのままだが、声優の喋り方からは、それらが感じられない。これでは、どこにでもいる、ちょっと辛口のツッコミにーちゃんだ。

2.本末転倒
ギャグに覆われてはいるが、クラシック音楽がメインである。主人公2人の行動は何よりもこれが優先されるのに、この2つが出てきた場面において、クラシックが削られている箇所がいくつかある。

3.のだめの弾くピアノ
千秋に一目ぼれならぬ一聴きぼれさせる程の、演奏をするはずなのに・・・。しゃらくさい事を言ってもしょうがないので、はっきり言おう。ヘタクソ!特に2話目は許せん。思わずのけぞった。



 ジェフリー・バトル選手の2007 CAN National SPを見た。3Aの転倒があったものの、半シーズン棒に振った後に出てきたとは思えない、素晴らしい出来だった。使用曲は、ピアソラの『ADIOS NONINO』。テンポが速く複雑なその旋律を、彼のエッジワークは精緻に描き出していた。音の強弱やスラーなどの奏法をも表現し、曲に乗せて滑るというより、曲を奏でているという感じ。鋭い感性が必要なため、どの選手にもできる事ではない。しかも、この選手の場合、おそらく受けた感性そのままで滑ってはいない。1つ1つの音符まで把握し、論理的な考察も加え、むしろ理性の方を相当に割合多くしてプログラムを構成しているように思う。しかしながら、彼の全体としての滑りは形而上学的でもあり、ゆえに硬質さはない。

感性が必要と書いたが、これを持ち合わせているのは、トップクラスの選手の中でもホンの僅かだろう(まあ、これは普通に考えて当然のことだけど)。他の男女現役選手の中に、今のところソレが感じられるのは、高橋選手とミラ・リュン選手だけだ。高橋選手はそういう訳で、結構お気に入りの選手だったりする。バトル選手に比べ、むき出しの感性のままに滑るためか、幼く荒削りなようにも思える。が、同時により素直で豊かな感性を持ち(これまでのレポで、「特別なものを持つ」と何度か書いたのは、こういった理由から)、かつより男性的なスケーティングをしているのだから、これでいいとも思う。リュン選手の場合は、やりたい事に対して、まだ体が付いていってないように感じる。共通しているのは外に出す事であって、自己完結型の選手のような、リンクから抜け出ることの決してない閉塞感は存在しない。
番外になるが、村主選手がいる。残念ながら、彼女からは彼らのような感性はないように見える。が、そういったものが「ある」のは見えているように思う。だからそれを出そうとアレコレ考えて、足掻いているように見えて可愛い。応援したくなる。


ピアノもフィギュアスケートも、高度な技術は絶対に必要で、まずソレありきなのは言うまでもない。だが、あればいい訳でもない。実に面倒くさくて、面白いシロモノだ。