Ice Wars 2006鑑賞レポ

昨年11月に行われており、ネタとしては古いが、最近再放送で見たので。
シングル男女4人ずつが参加する、プロ競技である。アメリカチームとワールドチーム(元アメリカ選手以外)に分かれ、メンバが得た点の合計で競うというものだ。10.0を満点とした、技術点と芸術点をまとめた一括採点方式を採用している。なお、荒川プロを除き、全員6.0システム時代のスケータである。

はっきりいって、技、スケーティングとも荒川プロが突出している。お遊びとはいえ、プロ競技に放り込んで比べて見ると、技術が本当に高いのだなとよく分かる。特に女性プロは技術の低下が激しいため、余計にそう感じた。まぁ、その他の面々はピーク時を過ぎているので、この時分の彼女と比べるのはフェアでないが。


改めて新採点システム(新)と6.0システム(旧)の違いについて、考察してみる。

・(新)は1つ1つの技の精度を追求するため、主だった要素(ジャンプ、スピン、スパイラル、ステップ)に極端な技術的ムラがなくなる。
・(新)はTransitionをスケータに対し、明確に要求する。振付師はできるだけ要素とランの分離をなくすようプログラムを構成し、スケータ自身も要素終了直後の流れを強く意識するようになったため、その演技は非常にシームレスな印象を与える。
・(新)は体操選手並みの高い柔軟性をスケータに要求する。女子選手は既にその傾向にあるし、男子選手もどんどんそちらの方向へ向かっている。
・(新)は要素ごとに割り振った点の合計で勝敗を決するため、プログラム全体を通した観点やスケータの個性を評価しなくなり、技においてもプログラムにおいても没個性に陥っている。
※一応ルールにこれらに関する考慮も記載されているが、ほぼ機能していない。
・(新)は相当量の抽象性を排除してしまったため、技術偏重が起きているだけでなく、公式化していっている。


他にもまだまだあるが、今回のプロ競技により関連するものは上記の通りである。結果として、現在トップ選手の中でもほんの数人の音楽的・空間的に優れた感性を持つ者にしか、それらを演技を通じて展開する事ができない状況となった。

Transitionについては、良いところと悪いところがある。前者は全体が滑らかになり、良いプログラムをより質の高いものにさせる。後者は技術に特化していても、プログラム全体をそれなりに映えたものにする。本来後者もいいモノのはずだが、今はどちらかと言えば悪い方へ働いており、演技全体を陳腐化させ少年漫画的な単純さでしか評価できなくなる傾向を助長している。言い換えれば、プログラムが求める技術水準にある程度達してさえいれば、誰が滑っても大した違いはないという事だ。
ソルトレイクオリンピックのぺア競技採点事件に対する反省から、真摯にルール改正がなされ、バージョンアップを繰り返した結果今の状況に至った事は疑わない。が、ここまで技術偏重にする事もないと思う。さらに、そもそも論で言えば、技術に対し細かい配点ルールを敷く事と、それによる採点の不正防止とに相関関係などない。大きな勘違いをしてるとしか言いようがない。


荒川プロ「私はこの曲の歌詞が好きです。だから選びました」
結構な期間をアメリカで過ごしているはずだが、未だに発音とも中学生みたいな英語を喋っている。でも、それは今、どうでもいい話だ。コメント内容が小学生なみである事の方が、ずっと問題だから。